北昂 沖津賢一郎

東北地方に行って来た。



自宅半壊

北昂制作:北昂
今年の3月に宮城県、福島県の
東日本大震災で被害を受けてしまった所に行った。


2011年3月11日午後震度7の地震が来た。

私は、実家の茨城県の茨城町にいた。

ちょうど、映画館に行こうかなと外出の準備をしていた。

その時、一回目のとてつもない大きな揺れが来た。

本当に、本当にびっくりした。

家の中の、テレビ、仏壇色々なものが次から次に倒れていった。

も~立っているのが難しかった。

家の中にいたら危険だという事で外に出た。

そしたら近所の人たちが沢山外に避難していた。

自分の家の周りに自分の家の瓦が沢山散乱していた。

何回も、何回も震度4、5クラスの地震が続いた。

家が、潰れてしまうのではないかと、30歳の自分が泣きそうになってしまった。
思い出すと今でも怖くなる。

その時、すでに電気、水道、ガスのライフライン全てが機能していなかった。

「何だよ、今何が起きているんだよ」

ラジオが聞けた。

福島県、宮城県、岩手県、青森県で地震そして津波と凄い事になっている。
あと、福島県で原子力発電所の水素爆発が起きたと、日本がパニックになっている事を知った。

しかしそれどころじゃなかった。

自分の住んでいる家が半分崩壊してしまいました。

全てのライフラインが復旧するには2、3週間かかった。

家族で話し合った。

「東京の親せきの家に少しの間お世話になろう」

親せきの家には4日居させてもらった。

家族にも、それぞれ仕事があるから自宅に帰ることにした。

本当に、水が出ない日常には凄く不便を感じた。

震災前には、ガス、電気、水道は日常にあって当たり前と考えていた。

2週間くらいたって水道が出た。

「いつもお世話になっています」

「今後ともよろしくお願いします」

今回の事で、ありがたさを実感した。


少しずつ落ち着きを取り戻した。

テレビや新聞やラジオで福島県、宮城県、岩手県、青森県、茨城県、千葉県の凄い被害を知った。

すぐにでも自分が出来ることを考えた。

しかし、現実は仕事に精一杯の自分がいた。

「あ~情けないな」と感じていた。


1年という時間が過ぎてしまった。

2012年3月に親友の沖津さんと二人で計画を立てて
宮城県(仙台市、牡鹿郡、石巻市)、福島県(福島市、南相馬市)を訪ねた。

まずは、宮城県(仙台市)に向かった。


宮城県

仙台 撮影:沖津賢一郎
仙台は、中学校の時に友達と七夕まつりに行って以来だった。

被害の大きさは知っていると考えていた。

そんな考えは間違っていた。

自分は本当に馬鹿だなと感じた。

津波によって民家が更地になっているのを目の当たりにし、
心が折れそうになった。

「え」

「本当に?」

何回もつぶやいた。

女川町 撮影 沖津賢一郎牡鹿郡、石巻市に向かった。

川沿いを車で走っていたら、更地が急に目の前に現れた。

まっさらだった。

「もしかして?」

少し、中の方に入って行った。
すると、お花が沢山置いてあった。

「ぁ~なんで?何でなの、どうして」

心が痛くなった。

「ここで何人の人が、生き物が・・・・」



瓦礫の山が沢山ある。

「瓦礫の山と言っていいの?」

「だってこれって一つひとつが

一人ひとりの大切なものだったんじゃないのかな?」


福島県

ふくしま屋台村 撮影:沖津賢一郎ふくしま屋台村
福島市に向かった。

茨城県のすぐ隣というのもあって、

福島県は、大好きな県の一つである。

二本松市や郡山市、福島市には、
震災前、なんどか行く機会があった。

自然が豊富で、食べ物が美味しい所だ。

今回は、震災が起きて約1年後。
福島市に行って何かしら重い空気が漂っているなと感じた。

「それはそうだよ」

しかし来たからには、美味しいものを食べるぞと、
ホルモン屋に入って美味しい肉を沖津さんとたくさん食べた。

そこで、沖津さんが隣の席にいたおじさんと話し始めた。

「ここのお店でこれがいちばんのお勧めだよ」

とおじさんが、ホルモンを一皿ぼくたちにごちそうしてくれた。

これまでホルモンをあまり食べた事がなったのでとても満足した。


沖津さんとたくさんたくさん話をした。
自分と沖津さんが思う事、考える事が違うのは当たり前。
お互いを尊重し、今後の事も含めて話した。

そうしているうちに、お店の閉店時間になってしまった。


2件目に行くことになった。

歩いていたら、いい感じの屋台村があった。

ここにしようと入って行った。

お店のおかみさん二人はとても感じの良い人だった。

納豆オムレツとコロッケ、お酒、他色々頼んだ。

とても美味しかった。

居酒屋って色々な人が来て色々な出会いがあるから好きだ。

観光客は減っているのかもしれないけど、
隣の茨城県もお互いに頑張っていきましょうと思った。

南相馬市に向かった。

宮城県(仙台市、牡鹿郡、石巻市)と何か感じるものが違った。

「何か違うね」と沖津さんも言った。

「ここで、大勢の人の命、生活が奪われたのか」

「どうしてなの?」

と目の前の海に問いかけてしまった。

心の中で

「ごめんなさい」

と一言つぶやいた。

瓦礫となってしまった大切なものが今大きな問題の一つとなっている。

今できることからやるしかないから考えるぞ。


北昂