寄稿

フクシマによせて

2012年5月20日

「全体とは、部分の総和以上のなにかである」

  • 撮影:沖津賢一郎切り取られた部分をどんなにつなぎ合わせてみても
  • 全体には至らない。
  • しかし、私たちは人に何かを伝えようとする時、
  • 部分として切り取ったものを示すことでしか
  • 他人に伝えることはできない。

「フクシマ」

  • 原発事故後に同心円状の避難地域を設定したことが、より多くの被爆者を生み出したとされている。
  • 放射性物質は同心円状には広がらず、汚染エリアは複数の突起を形成する。
  • その汚染エリアを特定し、迅速に住民を避難させる。
  • これが、原子力防災の基本中の基本なのだそうだ。
  • 空に浮かんで流されていくものが、風の強弱や地形の影響を受けるだろうことは
  • 風船を飛ばしてしまったことのある人なら子供でもわかることではないだろうか。
  • 人命軽視の極めて非科学的な対応だったという批判がされているのも理解できる。
  • この非科学的な判断がその後にどれだけの風評被害を生み出し続けることになったかと思わずにはいられない。
  • また、原発周辺に限らず、被爆し続けているかも知れない人が日本中にいるかも知れないと考えられるのが
  • フクシマの姿なのではないかと思う。
  • なお、福島県では行方不明者の捜索が現在でも続けられている。
  • 原発事故直後に立ち入りが禁止されたため地震や津波で被害を受けた人の救助や捜索が何ヶ月間もできなかったことによる。
  • これも現実に起きていることの一部だ。

  どんなにつなぎ合わせてみても全体には至らない。
  どうしてもこぼれてしまう。あふれ出てしまうなにかがそこにはある。
  しかし、私たちはたとえ切り取られた部分(一枚)であったとしてもそこから多くのものを感じる力を持っていると信じたい。


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