2011.9.6

撮影:沖津賢一郎

不潔か高潔か

沖津賢一郎
告白する。

私はかつて、かつてといっても学生時代、

「原始共産主義」を唱えていた。
それがいいことだと本気で思えていたからだ。

お笑いだ。
矛盾も甚だしい。
今じゃカメラやパソコンがなければ自分の暮らしが成り立たない。

もっとも、友人から指摘されるまで
自分のいっていることが「原始共産主義」だと
気がついていなかったんだけれど。



それだけじゃない。

時々どうしても思い出してしまうことがある。

「私にはみんなが言っている『付き合う』ということがわからない。
独占欲というのはたちがわるい。私は、いい男は共有すべきだと思う」
とある美人の言葉だ。

わからなかった。
だってそうだろう。
いい男を共有すべきだと思うということは、
裏を返せば、自分も共有されていいということになる。

不潔。

そう思う。
だってそれは限りなくむずかしい話だし、
実際のところ動物としての本能から逆行している。

なぜこんなことを思い出したかというと、
今日Panasonicさんとカメラの話をしていて、
そのあと友人と話していたら、

偶然、松下幸之助の「水道哲学」というのが出た。
「公園の水をがぶがぶ飲んでいても、みんなたいして怒らない。
ただみたいに安いからだ。
家電製品を、蛇口をひねれば水がジャンジャン出てくるように、
世の中に供給する。
それなら、家電製品は、ただみたいに安くなる。
他のものも、大量供給されれば安くなる」
というような内容の考え方だ。

ふと考えた。
もしや、これは原始共産主義じゃないのか。

凄いねえ。

これを自分に置き換えて考える。
自分で作品をただみたいにジャブジャブ制作し、
権利も何も主張せず、ジャンジャンパクってコピーしてほしい。

こう言っているようなものだ。

凄い。
今の私にそれができるか?

松下幸之助と前述の美女。

不潔か高潔か。

どちらかはわからないが、何かを大きく超越している。
どちらにせよ、
今の私のようなせこい考えに支配されてないことは確かだ。

この私有制がはびこれる自己責任と弱肉強食の世の中で。

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